「えんだより」というのは、月に一度
教師から保護者に向けて書かれるお手紙です。
子ども達の保育室での様子を知るなどができる、とてもいい機会になっています。

~えんせいかつより~
~シュタイナー幼稚園は生活学校~

月曜日と水曜日の朝は、丁度子ども達が登園して来る頃、教師はメインテーブルでかごに山積みの洗濯物を畳んでいます。子ども達の何人かが手伝い、台所へ届け、引き出しへ仕舞われます。お台所では曜日で決まったおやつ作りが始まっており、ごま塩もすられ、また天然酵母の為の人参やりんごもすられます。いつも数人の子ども達がコックをしています。子ども達が思い思いに遊びあう室内遊びはおやつの配膳が為されると一段落となり、トイレタイムからあそび全体の片付けへと続きます。
こうした生活に必要なすべての行為がいつも同じリズムで子ども達と共に行われます。シュタイナー幼稚園は生活学校なのです。片づけは部屋中がダイナミックな渦となる活気ある活動で、すべての遊び道具が種へ秩序正しく戻されると、全員が食事のテーブルに着き、部屋は秩序を取り戻します。一人の教師が手早く保育室の羊毛や糸くずのほこりを掃き清めます。皆で季節の歌を歌い、ダンスを踊り、再びテーブルに着くと、ローソクに火が灯され心地よい静けさが訪れます。朝の歌が歌われ、食前のお祈りに続いて曜日ごとの決まったおやつとなります。さて、おやつの後は教師はコップを洗い、年中以上の子どもの一人が布巾で拭いてお盆に並べると、外遊びの後でするうがい用の塩水が注がれます。そして皆で椅子を移動させて保育室に丸く並べ、メルヒェンの時間の準備をしておいてからお庭へ出ます。
生活の仕事の殆どすべての流れを子どもの前で行うことが大事であると気づくに至り、保育の準備と片付けを可能な限り子どもの前でするように努力しています。掃除、洗濯(手で洗えるもの)、台所の準備と片付け、アイロンがけ、縫い物、壊れた道具の直し、翌週の手仕事素材の準備などなど。子どもにとり生活全体を見通して初めてものごとの関連が立ち表れ、意味が見えてきて、生活が理解可能なものとなります。子どもはその年齢に応じて大人と一緒に手足を働かせて生活へ参加しながら、世界を味わい、世界と結びつき、自分自身を体験します。大人が週の、月の、そして季節の祝祭の仕事を段取り良く整えながら日々を励んでいますと、その繰り返される生活の傍で子ども達は記憶力と洞察力を発達させ、期待を持って積極的に働き、遊ぶようになります。そこで子ども達の中で培われていくのは思考の芽であり、人が身につける最も貴重な精神的な力です。
幼児期の子どもの眼差しは明るい問いかけと真剣さに満ちています。生まれる前の世界から携えてきた英知の輝きです。目の前の大人が誰で?何をする人なのか?を、世界の成り立ちが何であるのか?を、知りたいという願いをもっていて、私達大人を模倣することでその問いを満たそうとしているように見えます。
7才までに、その問いかけが模倣に浸るという正しいやり方で満たされないと、この英知の輝きは衰えてしまいます。幼児期に子どもは働く大人を自分のまわりに体験し、人が手足を通して世界と結びつく姿を、明日は今日よりも上手に生きようと努力する姿に接して、人生への愛と信頼を学びます。
コンピューターとAIが恐るべきスピードで社会を方向付けてゆくかのような錯覚に満ちた今の危険な社会の中で、人間であることの価値を一番本質的な価値として、7才までの体と魂に生活を通して沁み込ませてあげたいと願っています。将来に精神的な力の元で、ヒューマニズムに貫かれた立場からテクノロジーを人間の幸福の為に役立てられるようになる為です。
子どものモデルとしての自分の至らなさを日々恥じつつも、喜びの方が大きいのは、きっと、子ども自身の善なる眼差しによって私の方が導かれているのだと感じています。ご一緒に生活をシンプルに丁寧に営み、夜は早くぐっすりと眠りましょう。